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第四回 花街

新橋から建仁寺まで続く花見小路。観光客が行き交う中に、お座敷へ向かう舞妓さんや芸妓さんの姿を見かけることがある。その姿は華やかで美しく、時の流れを忘れてしまうほどだ。


受け継がれる文化

現在では花街として広く知られる祇園。受け継がれてきた精神は島原にある。新選組がブームになった際にその名を耳にした人は多いかもしれない。公許の花街であった島原は、寛永18年(1641)に前身の六条三筋町より移された。その移転が九州島原の乱のようであったため、「島原」と呼ばれるようになった。現在でも太夫や芸妓を抱えている「輪違屋」、遊興の場を提供した揚屋の「角屋」(現在は「角屋もてなしの文化美術館」)、そして島原大門が当時の面影を残す。江戸中期には島原俳壇が生まれるなど、文化的にも非常に発達した街であった。そのため太夫は、茶の湯、舞踊、華道をはじめ和歌などの様々な教養を身に付けたのである。
その頃、八坂神社の前には茶屋が立ち並び、最盛期には300軒もの茶屋が軒を連ねていた。出雲阿国の登場で四条河原に芝居小屋が建ち始めると、祇園もまた遊興の場として賑わいをみせるようになった。島原で培った最上の人をもてなす文化。この島原の文化は祇園へと受け継がれ、現在では祇園が花街として知られているのである。

花街が生んだ美意識

京都の美は花街なしには語れない。最上の人をもてなす文化が育んだ独特の美意識が京都にはあるためだ。祇園の一流の舞妓・芸妓はどの角度からも美しく見えるよう、頭の四方に華やかなかんざしをつけた。化粧をするときは、着物を汚さないようにと紙を挟み、一度使った紙はすぐに捨てていたという。浪費をも美徳と考える花街の文化。紅や化粧筆、そしてかんざしにおいても本当に手間暇かけて作られたものしか身につけないという気質がある。また磨きぬかれた立ち振る舞いにおいても、美への追求が感じられる。

近年は映画などを通して、国境を越えより多くの人を魅了し続けている京都の文化。これは、有形の文化財として私達が守ってきたものとは別の、生きる人たちの気概が生んだ美意識とおもてなしの文化であろう。わたしたちはこの文化を今後も守りつづけ、そして見習うことが大切ではないだろうか。




参考文献 
京都らしいものの現在 出版:株式会社のぞみ 2004年発行
角屋もてなしの文化美術館HP
http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/page/art_museum.html






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