京都の昼下がり。四条通り祇園町南側を八坂神社を背にして歩いてると、花見小路を越えたところから、行列が見えてくる。その行列の先は「茶寮都路里」だ。
茶寮都路里は、宇治茶の老舗である「祇園辻利」の甘味処であるが、抹茶を「食べる」というスタイルを日本中に広げた第一人者でもある。そのスタイルはたった十年の間に、私達のお茶に対するイメージを変えてしまうほどであった。
抹茶をスイーツとして頂く起源は、今から約四十年前、昭和四十年頃に遡る。当時、日本は喫茶ブームであり、人は皆、こぞって喫茶店で珈琲を飲んでいた。日本茶や抹茶は、人々の日常から遠ざかっていた。一七五三年に創業した「林屋茶店」が五代目のときに開いた、「京はやしや」で、「お茶をもっと親しみやすく提供したい」想いから、京都初の「抹茶パフェ」が考案された。抹茶パフェは舞妓さんたちの口コミから、日本全国へとその名を轟かせることとなった。作法にとらわれることなく、抹茶に親しむ。昼下がりに時間をかけて飲む珈琲と同じように、お抹茶と供に他愛無い会話が交わすという風景が、今では京都の日常となった。
私たちは、京都のお茶を特別なものとして捉えていることが多い。それは、日本茶の生産で一番有名な静岡県とはまた別のイメージである。京都のお茶のイメージの根底には、京都がお茶と供に歩んできた歴史が存在するからではないだろうか。